「摘翠園」の由来は、元禄時代(西暦1600年代)京へ五里 奈良へ五里の山城・宇治・青谷村奈島に始まります。 |
当初は、薬の一種としてごく一部の人のものであった緑茶も、
江戸時代に宇治の永谷宗円師による煎茶法が始まると共に一般化し、
その需要が全国に広がり、宇治茶の名声が高まっていきました。 |
なかでも、 六代目を継承した慶徳翁は、明治政府の参与であった井上馨候と会見し外国貿易の重要性を強く感じ、 宇治茶の海外進出を図りました。 その後、台湾・中国を手始めとして、英国・西部開拓時代のアメリカへ宇治茶を輸出しました。 |
摘翠園では、京都・山城青谷の地で創業者の意志に基づき、 生粋の宇治茶をお届けすべく今日も努力いたしております。 |